当コラムはいわゆる視察レポートというものである。
年末に向けて、来年度の経済予測を、中小企業経営に関することに絞ってレポートして、
「新春経済講演会」を聞きに行って1日潰すくらいなら仕事(特に戦略を練ること)をしてくださいね、と申し上げた。
それの派生であり非常に残酷なアドバイスであるが、現在業況がおもわしくない中小企業には、商業視察しているような時間はない。
ある業界団体でゴルフコンペがあり、仲間内で話している中で「いつも不況だってぼやいているけど、我々はこうして呑気にゴルフしているじゃないか?それっておかしくないか?」との意見が出て、その組は「池にゴルフクラブ沈めて」帰って仕事をしたという。
私はこの例の環境認識が間違っているとは思わない。
かくのごとく、生き残りにかけて、どれ程の中小企業が、
・死に物狂いで
・選択と集中して
事業に邁進してしているかというと実際にはその比率は高くない。
再生支援にかかる企業の共通の特徴として表れるのは、業績下降期に入った時の危機感の欠如である。
ということで、完璧には至らないかもしれないが、当社サイトは、1日、数分でも、ここを見ればすべての必要情報が手に入るというようなメデイア化を目指す。
その後、太田氏が城主となるが、戦国時代に秀吉のものとなる。
後に赤松氏が城主となるが、関ヶ原で西軍に参加して1600年に自刃、廃城となる。
その後は生野代官の支配下に(天領扱い)
ガイドさんが、攻めにくさを盛んに説明していたが、こんな山頂の城を攻めるものだろうか?と思った。
・・・が攻められたことはあったようだった。難攻不落をあえて行くという武士の気持ちがそうしたのだろうか?
竹田城には、穴太積という周りから固めていくと言う高度な石積みの手法が用いられている。
(大手正面櫓台)
これに対する技法は算木積みと言う手法であり、これも、天守、本丸などで使われている。
先日の補修では、築城の技術者の子孫の工務店が安価で請け負ったとのこと。(先祖の仕事の補修のため)
千田嘉博氏の「真田丸の謎」では、戦国時代後の築城技術においては
・馬出しと惣構が重要であったと説いている。
馬出しとはは正面門における責められにくい構造
惣構とは城下街区であることを示す構築物であり、意外としっかりと城下町を仕切っている城は少ないそうだ。
竹田城は山の上なので惣構は、該当しないとして、入り口には馬出しに該当するものなのかは分からないが攻めにくい工夫は見られた。
ちなみに真田丸の方は城の面影はなく、近代的な街並みになっており、本丸の辺りは明星学園になっている。